PENGUINS PROJECTの作詞講座「第3回:ひし形の缶コーヒー!?」

PENGUINS PROJECTの作詞講座
第3回:ひし形の缶コーヒー!?


※前回のまとめ:


・因果関係から歌詞を導き出してはいけない
・これは歌詞になる、ならないと決めつけてはいけない
・ポッと出て来たフレーズは、大抵最後まで残る
・ありがちな言葉は別にOK。ありがちな考えこそが恐ろしい


※今回のなかみ:


・人生経験の豊かさと歌詞の豊かさは比例しない。
・一つの物事を、沢山の視点から見ることが大事。
・パターン化言語は、視点を固定してしまうから危険なのだ。
・視点人物を意識して、場合によって使い分けよう。


* * *


 ちわーす、PENGUINS PROJECTです。
 みなさんは自動販売機で飲み物買ったことありますよね?
 120円入れてボタンを押すと、缶コーヒーとかコーラとかが出てきます。
 缶ってどういう形してますか?
 横から見たら「長方形」だし、上から見たら「円形」とも言えるし……
 さらに工夫をこらして、斜め上の絶妙な角度から見たら「ひし形」と言えなくもないです。


 「ひし形の缶コーヒー」!
 今日はそういう話をします。


1/人生経験の豊かさと、歌詞世界の豊かさは「まったく」関係ない


 よく「恋愛経験が少なくて、ラブソングが書けないんです」という話を聞きます。不思議です。「殺人経験が少なくて、ミステリーが書けないんです」という人は誰もいないのに。きょうは作詞における「経験」の功罪について考えます。
 まず先ほどの質問をした人は「恋愛経験がないとラブソングが書けない」と思っているわけですね。この仮説には「Aについて書くためにはAを経験しなければならない」という前提があります。逆に言うと「Aを経験すればAについて(良いものが)書ける」と言ってるわけ。しかし本当にそうでしょうか。
 目的に立ち返りましょう。「素敵な音楽をより引き立たせる、素敵な歌詞を書く人を増やすこと」…つまり、リスナーが歌詞を「素敵だ…(゚д゚)ウマー」と思えばいいわけです。ということは…別にリアルじゃなくてもいいんです。ナマの体験が素敵だったらそれもOKだけど、絵空事だからこそ素敵な歌詞だって事も多いでしょ?
 人生経験が少なくても、歌詞は書けます。人生経験の多い、少ないよりは、むしろひとつの出来事をどれだけ多面的に捉えられるかが重要なのです。これがきょうのテーマ「視点」と関わってきますよ!


 人生経験の豊かさと、歌詞世界の豊かさは関係ないです。あえてここは意図的に断言してみますが「まったく」関係ないです。人生経験というのは、さっきの自動販売機の例えでいえば、ウーロン茶もオレンジジュースもワンカップ大関も買って飲んだことあるぜ、というだけの話です。何百本も缶ジュースを買ったとしても、それが「ひし形」に見えるかもしれないと考えなければ、決してモノの見方は広がりません。
 もちろん人生経験が豊富であるということは悪いことではありません。でも常にプラスに働くとは限りません。人生経験の豊富さは、モノの見方の多面性を養う場合と、かえって価値観を縛りつけてしまう場合と、両方あります。


 これはついでですが、読書量の多さと、歌詞世界の豊かさもあんまり関係ないです(それっぽい歌詞を書く能力は付くので、否定はしませんが)。
 読書量というのはさっきの例えでいえば「缶コーヒーは観察する角度によってはひし形に見えることもある」というのを知っているだけの話です。そのあと歌詞を書くときに「缶コーヒーなんて 買ってこないで コーヒー入れながら 待つ君が好き」とかうまいことw書けるかどうかは全く関係ありません。
 「コーヒー=飲み物」として捉えるか「コーヒーを入れるひとてまの時間=コミュニケーション」として捉えるか…コーヒーという存在を見るときの視点の多面性を、作詞者がちゃんと分かっているか次第です。大事なのは経験ではなくて、視点の多様性です。
 人生経験が少ないと嘆くまえに、目の前の出来事を出来るだけ色々な角度から、じっくり眺めましょう。
 じろじろ。


2/恐怖のツンデレ!?……続・思考停止 - パターン化言語の恐ろしさ -


 ちょっとしつこいんですが、前回(第2回)に取り上げた「パターン化言語の恐ろしさ」にもう一度触れておきます。
 前回は「パターン化言語が多くのマイナーな表現を潰してしまう」「パターン化言語に自分の気持ちをあてはめてしまう」という2つの危険性を指摘しました。今回は「パターン化言語はモノの見方をひとつに固定してしまう」という危険性について補足します。


 最近妙に流行っている言葉のひとつが「ツンデレ」です。普段はツンツンしてるけど、恋に落ちるとデレデレしてしまう女性、という定義でおkかな?
 あとは「ヤンデレ」これはなんだろう。病んでるデレデレでしょうかね。何故か包丁とか持ってるみたいですね(誠氏ね的な意味で
 私は「泣いて 泣いて 泣きやんで」の2番、AメロBメロを全部使ってパターン化言語の恐ろしさについて語ってます。言いたいことそのまんまなので引用します。


言葉には 魔法が宿る
伝えたり 応えたり 傷つけたりしてる
トキメキも とまどいも 全部 まとめて
ツンデレ”で 済ませたら ラクでしょうね だけど


本当は知ってる 私の気持ちは
そんな言葉じゃ 伝わりはしない


D


 もうお分かりでしょうか。ツンデレという言葉には、


・恋する相手の気持ちがわからない
→本当は好きなのにツンツンしてるんだ!
→そうだお!きっとそうだお!
→⊂二二( ^ω^)二⊃ ブーン


という無意識の願望がこめられているわけです。
 言葉には魔法が宿ります。ツンデレという言葉にも魔法が宿っています。ツンデレ!と唱えた瞬間に、恋の相手についての視点は「本当は俺(わたし)のこと好きなのにツンツンしてるだけで、体育倉庫(なんでやねん)で二人きりになったらデレデレしてくれるはず…」という「ひとつのモノの見方」に縛られてしまうのです。缶コーヒーの例えでいえば、「ツンデレ!」と言った瞬間に缶コーヒーは「円柱」という要領の良い単語に置き換わってしまいます。便利で、そしてすべてを台無しにするパターン化言語。
 それらはすべて書き手の安易な願望に過ぎません。
 「そんな言葉じゃ 伝わりはしない」


(※注:べっ、別にツンデレを批判してるわけじゃないんだからねっ! 勘違いしないでよねっ!)


3/その失恋を相手の立場から、その失恋を店員の立場から
〜「視点人物」を意識しよう〜


 さて、缶コーヒー缶コーヒーと訳のわからないことを言っているうちにもうすぐ第3回のまとめとなりました。そろそろ実践的に、歌詞を書く上での視点の多様性を考えましょう。
 「視点人物」という言葉をご存知でしょうか。例えばあのOSTER Projectさんの名曲「恋スルVOC@LOID」は「初音ミク」という主人公の「私」という一人称によって描かれています。視点人物は初音ミクです。ryoさんの「メルト」だったら「だって君のことが 好きなの」と言っている女の子、彼女が視点人物です。一方(大ヒット曲と比べるのも気がひけるのですが)例えば「チョコレート・トレイン」では「つり革が揺れる」「君はあたりを見回す」「ねえトレイン 何を乗せて走るの」と、まるで架空の誰かが電車の中を歩き回っているような視点で描かれています。
(※注:視点人物っていう言い方はちょっと文学的な用語なので、もしよく分からない場合には、「映画化された場合どこにカメラがセットされて、だれを映しているか」を考えてください。メルトの派生PVはミクの正面にカメラを置いて、どうしてもミクがまん中に来るけど、チョコトレの派生PVはどれも車内風景を映すでしょ?)


 歌詞の世界のモノの見方をひろげ、様々な価値観を受け入れていくために、この視点人物を色々と試してみることをお勧めします。
 「僕は君のこと愛してる」と直球で自意識からスタートするだけじゃなくて、「あんなに彼を愛していたのに 君はあのとき泣いていたね」みたく他人の相談に語りかける口調にするとか、あるいは「少年は少女に恋した それは遠い昔のこと」みたいに極端に客観的にするとか、色々あるわけです。カメラと対象の距離の問題。音楽のミックスにおけるリヴァーヴの使い方と一緒。
 居酒屋で終電まで「私は失恋した」と延々語られても困ります。その話の中身をそのまま歌詞にはできません。だけどそれを「あいつと彼女の3年間は/終電間際/バドワイザーの泡の中に消えてった」と一旦ひとごとのように書いてしまうと、空気感、変わりますよね。視点人物を居酒屋の店員にして「今日もB卓失恋話/隣の席は合コン中」と書けば滑稽さが出てきます。
 作詞中のみなさん、カメラを置く位置そこで合ってますか?もっと引く?もっと寄る?すべては監督のあなた次第です。
 そうそう、クレーン使って上から撮ったっていいんですよ。斜め上をいきましょう。斜め上から世界を眺めてみましょう。きっと缶コーヒーもペヤングも、ひし形に、ダイヤモンドに見えるはずです。
 キラキラキラ。


※毎度長くてすみません。第4回、第5回はかなり具体的に、作詞をする際の個別の注意事項というか、知ってると得なテクニックを紹介していこうと思います。どうぞお楽しみに。