PENGUINS PROJECTの作詞講座「最終回:飛べない鳥の想像力」

PENGUINS PROJECTの作詞講座
最終回:「飛べない鳥の想像力」


※前回のまとめ:


・名詞、特に固有名詞を歌詞に使うとインパクトを生む。しかしリスクもある。
・倒置法を積極的に活用しよう
・語尾のバラエティを増やそう
・叙述用法の形容詞は鬼門だ


※今回のなかみ:


・韻を踏むことは、ダジャレではなく、想像力を広げる行為だ。
・「言葉の発音」と「意味」は別々ではなく、互いに関係しあっている。
・素晴らしい歌詞とは、予定通りにいかなかった歌詞のことだ。
・がんがれ


* * *


 ちわーす、PENGUINS PROJECTです。
 コメントやトラックバックに支えられて続いてきたこの作詞講座、早くも今回が最後となりました。なんだかあっという間だけど楽しかったです。「この講座をきっかけに作詞が楽しくなりました!」という方がいらっしゃれば、一番の幸いです。「この講座で身長が伸びた!」「この講座で肌が若返った!」「この講座で宝くじが当たった!」という方がいらっしゃった場合も同様です。
 さて、最終回にあたって、作詞という行為だけでなく、言葉を綴ること、言葉で表現することの素晴らしさまでを射程に入れて、じっくり何かを伝えたいと思いました。
 そこで今回は「韻を踏む」というテーマで話をしたいと思います。これね、誤解されやすいんです。「韻を踏む=ダジャレ・ネタ」ってな具合にね。とんでもない!韻を踏むのはもっと深い理由があります。今回はそこをお話しますよ。


1/韻を踏むこと=想像力を広げること


 作詞テクニック「韻を踏む!」
 今さら説明不要の王道テクニックです。韻を踏むとは、同じリズムの言葉を繰り返し、そこに同じ音(近い音)で終わる言葉を関連づけて並べることで、印象を強める手法です。「見たい!/聴きたい!/歌いたい!」とか「せつない/ふれあい/たすけあい」みたいな感じですね。このテクニックは近年のJ-POPで多用されていることもあり、多くの作詞者が「韻を踏まなきゃ」と肩肘張っているのも事実です。
 しかし、よく考えてみてください。何のために韻を踏むのか、その目的を理解していますか?「韻を踏むと、面白そうだから」「韻を踏むと受けるから」ホントに??韻を踏むって、そんな表面的な行為なのでしょうか?……違います。韻を踏むことは、言葉の「おと」を介して、遠く離れた言葉同士の「意味」をつなげる、想像力の戦いなのです。
 ここでちょっと拙作からひとつ引用を。「泣いて 泣いて 泣きやんで」です。私はこの曲の作詞にあたり、「韻を踏む」というテクニックの潜在的可能性を最大限にまで引き出せたと自負しています。いや、違う。韻を踏むテクニックに助けられ、支えられ、導かれて歌詞を書き通せたのです。韻を踏まなければ、あるいはただ面白さだけで韻を踏んでいたら、この歌詞は書き通せなかった。大変でした。


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以下、3カ所のサビの歌詞を引用しておきます。
参考資料にどうぞ。


(1サビ)
いっぱい 泣いて 泣いて 泣きやんで
ふりむいて 両手 澄みきった空へ
雨上がりの街 さよならの風が吹く
やっぱり 泣いてないで 泣きやんで
占いでなんて 決めないで 私の気持ちは
いつもここにいるから


(2サビ)
絶対 泣いて 泣いて 泣きやんで
さよならだって 乗り切って いつか
雨上がりの街 新しい風が吹く
きっと 相手なんて 見つかるって
未来なんて パルプンテ 流した涙が
明日をつくるはずだよ


(3サビ)
だから 泣いて 泣いて 泣きやんで
自分でギュッて 考えた言葉が
つないだ二人 心から言うよ サンキュ!
いっぱい 泣いて 泣いて 泣きやんで
心の中 アルデンテ 私の気持ちは
ちょっとタフでいたいの


 さてそれでは、歌詞を書かなきゃ!と思いながら私がこの曲の作詞をスタートした時点に戻って同時中継的に見ていきます。
 まず、「泣いて 泣いて 泣きやんで」というサビのフレーズが、メロディと共に思い浮かんできました。これはイケる!私は早速メロディを完成させました。Aメロ、Bメロ、サビ。うん、できた(作曲プロセスも大変でしたけど省略w)。で、「泣いて 泣いて 泣きやんで」が既に韻を踏んでますよね。「〜て、〜て、〜で」なるほど。「〜て」に持って行けばヒントが見つかるかもしれません。そう、「〜て」という韻を踏まねばならない、という制約を自らに課したのです。その制限の中で言葉の意味をつなげて、歌詞を生み出すのです。


 まず1サビ。失恋してしまった女の子「泣きやんで」それからどうする?と考えました。〜て、〜て、……ふりむいて、なんてどうだろう。いいですね。「ふりむいて」でいきましょう。ふりむいたら、視野が広がってきた。さあ、どうなる?
 ここで韻の踏み方に関するひとつのテクニックをお教えします。「韻を踏む時は、なるべく文法的に構造の異なる品詞同士で韻を踏むとレベルが高くなる」ということです。つまり「あかだま/しろたま/みずたま」と韻を踏むより「みずたま/たまたま/もったまま」と韻を踏むほうが良いのです。何故なら前者は「色の名前(名詞)+玉(名詞)」というワンパターンなのに対して、後者は「水玉(名詞)/たまたま(副詞)/持ったまま(動詞+名詞)」というバラエティ豊かな語彙が登場するからです。後者のほうがなんとなく雨の日の憂鬱さを上手く表現できていませんか?
 さて、本題に戻りましょう。つまり今の教訓から行くと「泣きやんで/ふりむいて」と動詞主体の韻の踏み方をしていたのですから、次は名詞なんかが良さそうです。〜て、〜て、…両手!これはいい。ふりむいて/両手、さあどうする?ポジティブな気分の切り替えを表現したいですね、そうだ、「澄みきった空へ!」なんていいですね、ちゃっかり韻も踏んでますよ。〜て(te)から〜へ(e)と、e音が継続します。
「泣いて 泣いて 泣きやんで/ふりむいて 両手 澄みきった空へ」
 (韻を踏んでない箇所の作詞は省略)
 さらにサビの続き。「泣いて泣いて」を「泣いてないで」に変えて、「占いでなんて/決めないで」とさらに韻を踏み続けます(たまに「〜て」じゃなくて「〜で」にしたりすると飽きが来ません)。それにしても、占いでなんて、というフレーズ、韻を踏まなきゃ絶対出て来ません。貴重な発掘です。
「泣いてないで 泣きやんで/占いでなんて 決めないで」


 さらに2番に行きましょう。正直、2番の歌詞はなかなか書けませんでした。1番で言いたい事なんて全部言っちゃったよ!と思っていたからですw。そこで2番ではペンギン流くそみそテクニック「抽象論に持ち込む」を実践しました。1番の歌詞における「理詰めで言葉を解釈する男性と、感情を理解してほしい女性」というすれ違いを、一般論に広げたのです。「言葉には魔法が宿る」の件は以前触れたので省略。
 さあ、サビです!「泣いて 泣いて 泣きやんで」どうなるだろう?「さよならなんて」?いや、「占いでなんて」で「なんて」は使いました。ちょっと変えましょう。「さよならだって」うん、これで良し。〜て、〜て。乗り切って。出て来た!
「泣いて 泣いて 泣きやんで/さよならだって 乗り切って」
(韻を踏んでない箇所の作詞は省略)
 さらにサビの続き。「きっと」で行きましょう。「きっと」なんなんだろう?失恋したあと、希望を持って、きっと…次の恋、かな。「相手なんて/見つかるって」いいですね。「あいて(名詞)」「なんて(助動詞)」「みつかるって(動詞+接尾辞)」うん、バラエティ豊かな韻の踏み方。未来はどうなるかわからないよなあ。というわけで…「未来なんて パルプンテ」(〜て、名詞)
 キター!パルプンテ
 これははっきり言って閃きです。もう自分でもよくわかんないです。とにかくパルプンテという言葉がひらめきました。そして驚くべきことにそのとき私はその言葉の意味を知らなかったんです。ドラクエの魔法だということは分かりましたが、一体どういう意味なのだろう。調べてみて、驚きました。「何が起こるかわからない」という魔法なんだ!なんという偶然の一致。


 さらに最後のサビ(3番)です。ここは歌詞の内容をまとめにかかったので、韻を踏まずにそのまま情報を伝えました。そして最後、アルデンテ。(〜て、名詞)
 キター!アルデンt(ry(しつこい
 これも閃きですね、ぱっと出て来たんです。アルデンテの意味を探って、これまたホントに驚きました。ちょっと固ゆでのパスタという意味で、絶妙な湯で具合を意味するのだとか。なるほど、雨降って地固まる。失恋して、泣いて、ぐしょぐしょになったけど、固ゆでになって絶妙な湯で具合……もっと魅力的な女性になれるっていう意味かな?そして私は「アルデンテ」をヒントにして
「心の中 アルデンテ/私の気持ちは ちょっとタフでいたいの」
と書き、作詞を終了したのです。


2/自分が想像も付かない歌詞を書く瞬間


 さて、長々とすみませんでした。リアルタイム作詞実況中継を通じて、いかに韻を踏むという行為が、作詞にとって(とりわけ私の作詞にとって)重要な位置を占めているかお分かり頂けたと思います。
 書くのではなく、書かされているのです。私が書いたある言葉が、意味をはなれて、「おと」としてひとり歩きをはじめる。ひとり歩きした言葉は、「おと」を媒介としてまったく別の意味のことばと繋がります。「雨」と「飴」、「愛」と「藍」…、まったく別のことばが、同じ音で結ばれたとき、そこに思わぬ化学反応が生まれます。
 泣いて泣いて泣きやんで、占いでなんて決めないで、自分でギュッて考えて、心の中アルデンテ。
 「〜て」という「おと」が、これだけの「意味」を導き出してしまったのです。もはや私は作詞なんてしていません。ただ「呼んでくる」だけです。
 書くのではなく、書かされているのです。そしてある瞬間に、それはやってきます。


 自分が想像もつかない歌詞を書いてしまう瞬間です。


「こんなテーマで、こんな歌詞を書きたい」というあなたの期待は、大抵陳腐でつまらないものです。私だって作詞をスタートさせた時点では、毎回、相当つまらないものを書いてます。でも言葉の力、特に言葉の「おと」としての力を信じたとき、言葉の魔法が動き始めます。そして言葉が勝手に一人歩きを始めて、いつしか私は、ただ言葉に引っ張られて、取り憑かれたように言葉を紡ぎます。すると、ぽろりと出てくるのです。当初の予定になかった、おかしな言葉が。そのおかしな言葉が歌詞の全体を運命付けます。ぽろっと出て来た、パルプンテが、アルデンテが、私に「この曲の歌詞は『こうだった』んだ!」と、後付けで、教えてくれるのです。そして、そこが作詞の終着点です。


3/飛べない鳥の想像力


 全5回、およそ9日間にわたり連載してきた、「PENGUINS PROJECTの作詞講座」いかがでしたでしょうか。
 この講座の最初にも書いたように、私は作詞なんてしたことは一度もありませんでした。初音ミクに出会い、昔取ったなんとやらでDTMを再開し、そして初めて作詞という壁にぶつかったのです。この5回の講座でお伝えしてきたことは、私が1年間かけて試行錯誤してきた作詞の方法論をできるだけ一般化した法則のようなものです。「これはないわw」とか「納得がいかない」という場所も多々あると思います。当然です。これは私の個人的な方法論に過ぎません。しかし、客観的法則というのは、常に個人の主観からはじまり、たくさんの人々の主観の最大公約数が、客観的法則になっていくものです。みなさんが今後ミクで、ボカロで、DTM、あるいはバンドで、オリジナル曲を作って歌うとき、作詞をすることになると思います。その時にこの講座の内容が少しでも、単語1つにでも影響を与えることができたら、無上の喜びです。


 作詞経験が少なくても、歌詞は書けます。
 人生経験が少なくても、歌詞は書けます。
 変な先入観やこだわりを捨てて、言葉の魔法を信じ想像力を働かせましょう。
 そのときまっしろな紙の上で、言葉がひとり歩きを始めます。
 ペンギンは空を飛べません。人間の世界のこともよくわかりません。
 だけど想像力で空を飛べば、どこまでも遠く旅をすることができるのです。
 音楽と、そして言葉の翼に乗って。




☆ END ☆