PENGUINS PROJECTの作詞講座「第1回:なぜ作詞は失敗するのか」

PENGUINS PROJECTの作詞講座(全5回予定)
第1回:なぜ作詞は失敗するのか


はじめに/この講座の目的、対象、特徴


 「歌詞が書けない」という話をよく聞きます。「オケは1日で出来るけど、歌詞は1週間かかっても書けない」という方もいるようです。VOCALOIDがきっかけで歌詞のあるPopsを作リ初めたDTMユーザーにはつきものの悩みです。
 私もVOCALOID初音ミク」を使い始めた去年の春に、初めて「作詞」というものに挑戦しました。なんせ初めてです。何もわかりませんから適当に書いて、適当にニコニコ動画にうpしました。すると意外にも多数の方から「歌詞が良い、歌詞が好き」というご意見を頂きました。これは完全に想定外の事でしたが、同時にとても嬉しいことでした。
 間もなく開催される「ボーマス」7で、PENGUINS PROJECTの1st ALBUM「飛べない鳥の想像力」が頒布されます。入稿も終わってようやく時間に余裕ができたこのタイミングで、自分自身の反省会という意味もこめて、作詞ってなんだろう?どうすれば作詞はうまくいくのだろう?ということを、このブログで皆様と一緒に考えていきたいと思います。「講座」などと上から目線で語ってしまいましたが、他に良いネーミングが思いつかなかっただけです。語彙不足ですね……いやぁサーセン
 この講座の目的は「素敵な音楽をより引き立たせる、素敵な歌詞を書く人を増やすこと。」です。文芸批評ではありませんし、詩人の魂の叫びを受け止める場でもありません。まず音楽があって、そこにメロディがある。そのメロディを歌うときに、そこにもし、言葉が必要ならば、それは一体どのような言葉であるべきか、ということを考えるのが目的です。
 この講座の対象は「自分で作った曲や、他人が作った曲があって、それに歌詞を付けたい人。特に初音ミクVOCALOIDユーザーで、ニコニコ動画へうpしたい人」をメインに想定しています。いわゆる「曲先(曲が先にあって、あとから歌詞を付ける方法)」で活動されてるDTMユーザーの方なんかがドンピシャですね。「詞先(歌詞が先で、それに合わせてメロディを付ける方法)」も方法としては非常にポピュラーなのですが、私が詞先で作ることがほぼ皆無なので、今回は対象外としています。
 そして今回の講座の特徴として「良い歌詞を書くことよりも、悪い歌詞を書かないことに重点を置く」という方針でやっていこうと思います。理由は簡単で、良い歌詞はなかなか書けないからです。ぶっちゃけ私も書けません。自分の曲に歌詞を付けているだけならどうにかすることはできますが、人から頼まれて歌詞を書いたら、良い歌詞を必ず書く!とは言えないでしょう。それに比べると、悪い歌詞を書かないためには、ある一定のルールさえしっかりと守ればほぼ対処できます。今回はそこに注目していきたいと思います。
 それでは、はじまりはじまり〜


1/まっすぐな想いを歌にすれば、必ずキミの気持ちは……届かない。


 というわけで、素敵な音楽を台無しにするようなひどい歌詞を書かないために、私たちは何から考えれば良いのでしょうか。と書いたあげく、私もしばらく固まりましたw。むー、難しい。あまりにムズい。というわけで、そもそも作詞を含めた「表現行為」というもの全体を俯瞰して考えはじめるとしましょう。
 作詞だけでなく、作曲や文章創作、絵画制作などの全般で、非常に多くの人に共有されている考え方に「個性」というものがあります。
 個性! なんという甘い誘惑。そのままのあなたがそれでいいのでs(ry
 この個性という言葉の魔法にかかってしまうと、まず良い歌詞は書けません。なぜならば個性ほどつまらないものはないからです。「個性」という漢字を見てみましょう。「個々」の「性質」です。「納豆=ネバネバする」とか「鏡=光を反射する」とか、全部個性です。そもそも甘い誘惑でもなんでもないはずの個性に対して、妙な幻想を持ったまま歌詞を書き始めてしまうと、「私の(ぼくの)個性を見て!ドラマティックな『内面』が反映された『魂の叫び』を聞いて!いやむしろ聞け!」という結論に至ります。もうお分かりと思いますが、これは作詞者本人が安易な典型に見事にハマってしまっているわけですね。そこから生まれるのは、誰にでも書ける「画一的な叫び」 に過ぎません。
 君と一緒ならどんな悲しみも乗り越えられるから、未来へ向けて走り出そう輝く君の笑顔が好きさベイベー!(注:この歌詞はフィクションです)
 これが個性です。
 作詞をする際に私は私自身の事を考えません。例え私の人生の過去に題材を取った場合でも、必ずそれを私とは切り離して考えるようにしています。「それは私の歌詞であって、私ではない」のです。「私」を「あなた」にして読んでみてください。
 自分の表現行為が、誰かに届くといいですよね。その人の立場からも分かるものを書きましょう。


2/ポエムじゃないよ、歌詞ですよ。


 1節でみてきたように、「自分自身の個性をありのままに表現」しよう、という「個性幻想」が、多くの創作の妨げになっていることは分かりました。では、自分自身を客観的に見つめ直し、受け手(音楽だから「リスナー」ですね)の気持ちを考えて書いていくことにしましょう。
 次に私たちを待ち構える難問は「歌詞はセンスだから(笑)問題」です。歌詞を書けるかどうかは本人が持って生まれた感受性(センス)によるところが大きい、素晴らしい歌詞を書けるセンスのいい人もいれば、どう頑張っても歌詞が書けない人もいる……結論からいえば、そんなはずはありません。なぜならば歌詞というのは完全に自由な創作文学、いわゆる「詩(ポエム)」ではありません。リズムがあり、ハーモニーがあり、メロディがあって音楽として成立している。その一部としてメロディに乗せる言葉「歌詞」がはじめて成立するのです。だから歌詞はメロディに縛られますし、アレンジ(Rock、R&B、Soul...)と相互に影響を及ぼします。しかし、だからこそ歌詞は詩(ポエム)より簡単なのです。何故ならば、制約がヒントとなり、そのヒントに従って作詞をしていくことが出来るからです。(注:これは今回対象としていない「詞先」の場合でも同じです。音楽に対して、先手を打って素敵な制約を与えられることが「詞先」の強みです。この場合は、音楽が歌詞の制約をヒントとして展開することになりますね)
 歌詞は文学ではありません。私自身も子どものころから本好きで、活字中毒と言われるほどに本ばかり読んでいますが、それでも歌詞は文学ではないと思うし、だからこそ別個の可能性があるのだと思います。
 ポエムじゃないよ、歌詞ですよ♪と唱えてみてください。うん、いいリズム感。ちょっとこれもう、すごく・・・歌詞です・・・


3/案ずるより書くが易し - 歌詞は手書きで -


 さて、だいぶ長くなってしまいました。多分既にPENGUINS PROJECT名義で書いた全ての歌詞の文字数を超過している気がします。こうして口先だけの理論家ペンギンになって行くんですね、わかります。
 というわけで第1回のラストにあたり「理屈は分かったけど書けないんだよゴルァ!!!」という悩みについて考えていきましょう。これは超強力な悩みのように見えます。理解したわけです。おk、素晴らしい。そして書けないわけです。この手詰まり感! プチ整形したけど全然モテなくて、逆になおさらヤバい的な感じですね(意味不明)
 歌詞が書けないのは何故か。


 書かないからです。
 書かないから書けないのです。


 仕方ないね。


 別に森の妖精ばりに歪みねぇ精神論を語っているわけではありません。松岡修造さん並にポジティブな言い方をすれば「書けば書けるって気持ちの問題だ!」といったところでしょうか。そう、「書けば=書ける」のです。まずは一行目を書き出しましょう。
 「だから、それが出来れば苦労しないって」と思っているアナタ。
 ひょっとして「良い歌詞が書けない」とか思っていませんか?
 もう一度今日の内容を読みかえしてみてください。
 「個性なんて幻想」「歌詞は文学じゃない」…そう、別に歌詞というのは崇高なものでもミスが許されないものでもなんでもないのです。
 たかが歌詞です。
 ヘイヘイヘイでもタラリラリーンでも構いません。


 私だってサビの出だしから「ほーっほーっ」です。


D


 なめてます。完全に歌詞をなめてます。
 一歩間違えればフクロウです。(事実フクロウタグを付けられました)


 でも「ほーっほーっ」と思い切って書き出した瞬間、その謎の言葉に呼び寄せられるようにして、それ以降の歌詞は出てくるのです。


 個性は信じちゃいけないけれど、自分の書いた歌詞は信じましょう。
 一行書いて、それを信じれば、次の行は、自ずから導き出されます。


 今回はかなり大雑把かつ全体的なお話でした。次回(第2回)からはいよいよ作詞の実践編です。なお、第1回目の内容を書くにあたっては、来日間近の歪みない兄貴ことビリー・へリントン氏の空耳の数々を引用させて頂きました。いやぁサーセン。(構わん、二度目行こっ!)

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