うんこ。

その日は夏でした。
中学二年生の僕はクリーム色の壁を見つめていました。
壁です、トイレの壁。
学校は夏休みだけど数学の補習があって、
僕は冷房もろくにきいてない教室でメネラウスの定理の勉強をしてました。
今でも僕は数学が苦手です。


僕の肩に一匹の蠅が止まりました。
それは蠅でした。嫌なもんです。
冷房のきいてない教室よりも、トイレの中はさらに暑いです。
トイレの中のほうが、教室よりもむしろ冷房を入れるべきだと思うんですがどうでしょう。
とにかく僕はトイレにいました。
大をするためです。


うんこ。


あなたがトイレでうんこする時のことを想像してください。
あなたは個室の扉をオープンします。
扉はオープンされます。
便器のフタをオープンします。
フタはオープンされます。


2パターンあると思うんです。
緊急度「高」と「低」。
「やべ、もれちゃぅ!」っていうのが緊急度が高くて
「あー、うんこしたいな」っていうのが緊急度低いほうね。
その日そのときは低いほうでした。


便座に座った僕は数学の問題について考えていました。
原因と結果。結論と証明。
卵とニワトリ。Q.E.D.
哲学の本にこんなことが書いてありました。


「ある日の午後が、堪え難く蒸し暑かったとしよう。
 だが『その日は暑かった』という事実が確定されるのはいつなのか?
 『暑かった時点に決まってるだろう』と思うだろうが、それは違う。
 『その日は暑かった』と『考えた』瞬間、それが事実になるのだ」


僕がいいたいのはこういう事です。
うんこをした瞬間はいつなのかと。


肛門から先端が出た瞬間でしょうか。
それとも末尾まで出きって、落水した瞬間でしょうか。
でも考えて下さい、そもそもうんこの長さって
どこで切るかっていう主体的かつ任意の判断の問題でもあります。
だいいち元をたどれば、うんこは1つ2つと数えられるようなものではない。


※研究社新英和辞典でいま調べてみたんですけど
 やっぱり英語だと区切りのあいまいなうんこについては
 「feces」と、複数形が適用されるみたいです。
 http://ejje.weblio.jp/content/feces


うんこって何でしょう。
そのポチャッと落ちた1区切りがうんこなんでしょうか。
それとも大腸に蓄積されてる時点でうんこ確定なんでしょうか。
それとも胃で消化されて以降はうんこと同義でしょうか。
ならばゲロはうんこなんでしょうか。
食事はうんこなんでしょうか。
イワシもうんこなんでしょうか。


中二病とは言い得て妙です。
中二の僕は、難しい数学の証明を考えているうちに
いつの間にかうんこ問題について考え込んでいました。


うんこが先なんでしょうか。
それとも拭くのが先なんでしょうか。


仮説:うんこをしたあとに拭くべきである


なるほど。確かに正しそうです。
しかしここで先ほどの問題が再び頭をもたげてきます。
うんこをした瞬間はいつなのか。


あの哲学書を引用しましょうか。


定義:Aと考えた瞬間、Aが事実になる


なるほど。確かに認識論の立場から言えばこれは正しい。
じゃあ、このブログを僕が書き始めた5分前に
あの日の「うんこ行為」は現実として立ち現われたわけです。
あの日のうんこは、誰にも話したことのない僕の内面だけの事実でしたから
今こうしてブログに書くことで、それは初めてこの世界の現実として立ち現われたわけです。
うんこをしたのは5分前。はい確定。


あれ、おかしいですね。
仮説では「うんこをしたあとに拭くべきである」とあります。
しかしいちいち「俺いまうんこした」と認識したあとに
拭くやつがいるでしょうか(いや、ない)。


みんなうんこする前に拭いてるのかな。
僕だけうんこするあとに拭いてるのかな。


寂しいよ。


中二の僕は、蒸し暑いトイレの個室で考えました。
前だっけ、後だっけ、と。


アブラゼミが校舎の裏でミンミンと鳴いています。
バスケ部の練習の掛け声がきこえます。
夏休みの冷たい廊下をウワバキの音が通って行きました。
通って行きました、と書いたその瞬間、それは現実になりました。



僕はお尻を拭きました。
僕はうんこしました。