ニコニコ動画の「神曲」について考えてみた(長いよ

最近ちょっと、これは発見なのではないかと思っていることがあります。


それは「ひょっとするとニコニコ動画ではルネサンス以前の音楽の受容形態が復活してるんじゃね?」ということ。


要するにこうです。
音楽や絵画のような芸術作品は、作り手それぞれの作家性が発揮される場だ、という前提。
これ、当たり前にみえるけど、実は西洋でいう近代以降の考え方にすぎないですよね?
ルネサンス(文芸復興)によって暗黒の中世が終わったとされているのが、近代以降の時代。
じゃあそれ以前、暗黒の中世はというと、「神様、教会が絶対」だったわけです。
だから音楽も「いかに神の恩寵を正確に表現するか」j(グレゴリオ聖歌的な)
絵画は「いかに聖書の場面を正確に再現するか」(宗教画的な)といったように、
神、聖書というお手本があって、音楽家も絵描きもそいつ自身という個性はどうでもよくて、
とにかく神という究極の存在をどれだけ正確に「トレース」したかで作品の価値が決まったのだとおもうのです。


で、それがニコニコとどう関係があるのかというと、……「神曲」ってあるでしょ?
あれ「神」ってついてるのは偶然じゃなくて……。
ようは「神のトレースがうまい曲」なんじゃね?と。


あれ宗教音楽なんじゃね?と。


じゃあニコニコ動画における神様あるいは宗教ってなんだ、って話。
そこで登場するのか「お約束」とか「過去ログ」なんじゃないかと思います。
つまり東浩紀氏が言うところの「萌えのデータベース」ね。文脈といってもいい。
音楽的にもお約束とか、データベースは確立されてると思います。
ペンタトニックのメロディで泣いたとか、F-G-Em-Amのコード進行で泣いたとか(なんか泣く話ばっかりだな)
四つ打ちのリズムで泣いたとか云々。うp主もついやっちゃうんだ云々。


だから神曲というのは近代的音楽評論における「画期的な名曲!」である必要はないわけです。
むしろそうあっちゃいけない。個性的な曲は神曲にはなれない。


さんざん使い古されたペンタトニックとスリーコードの楽曲だとデータベースにあるから泣けるけど、
ハッと驚く新鮮なメロディ、かすかに気の利いたコード進行だとデータベスにないから受け付けない、みたいな。
というわけでうp主も大好きなビートルズ神曲にはなれない。あれは典型的近代〜現代の名曲なので。


そしてこっからが大事ですけど、そうはいっても21世紀は中世じゃないんでw
現代社会にはひとりひとりのつくり手の個性や、作品の独創性をたたえる考え方も立派に息づいているわけです。
ニコニコも当然社会の一部ですから、近代的作家主義もゼロじゃないと。


というわけで、近代と近代以前がごっちゃまぜになり、「神様をトレースした神曲」と「作り手の個性が爆発する名曲」がしのぎを削る場所、
それがニコニコ動画だ!


ってうp主が言ってました。